『強制されて苦しんで飲む酒は、“殺人剤”にもなる(塩爺)』

『強制されて苦しんで飲む酒は、“殺人剤”にもなる(塩爺)』<2019年6月2日(日)>
 毎日新聞の『余録』(190602)で、朝日新聞の1991年11月の投稿を紹介する。「酒を飲めない体質の人にも強制的に飲ませて、苦しむ姿を楽しんだり、酒に強いことが人間の優秀性、豪傑性を示すとするような錯覚が、若い人たちに広がっています」(東京都 塩川正十郎)。「「知人の息子が苦労して入学した有名大学のコンパで、しょうちゅうの一気飲みをして死亡」したことから筆を執ったという・・・先月も近畿大のテニスサークルの学生ら12人が保護責任者遺棄致死容疑で書類送検された・・・楽しいはずの酒宴でのイッキ飲みが人生を暗転させる。「強制されて苦しんで飲む酒は、“殺人剤”にもなる」」。
 (JN) 酒について自分のだらし無さを日々反省し、その振り返りをまた無効にしている。悲しい限りである。「ちょっとだけ」、「30分で帰ろう」と自分にも仲間にも互いに、ウソを吐きあっているのである。これはでも、自業自得であるが、アルコールの強制はあってはならない。飲食物は、好きなものを適切に摂りたい。他人に酒を強制してはならない。酒は自分の好きなものを自分のペースで飲めるようにすべきである。これを日本の酒飲み文化の中に定着させることである。未だに、年長者から酒を勧められると、器を開けたからいただかねばならぬことが継続している。勧める方も酔っ払いの無能世界になる。楽しい酒の場にするためにはどうすればよいか、塩爺の言葉を忘れず、嗜みたい。

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