『米国が計画する月周回宇宙ステーションには日本も参加を決めている』

『米国が計画する月周回宇宙ステーションには日本も参加を決めている』<2019年5月18日(土)>
 「1960年代に月に行けたなら、なぜ技術が進んだ後の時代に行けないのか」。『余録』(190518)は、新たな米国の月面着陸計画を思う。「アポロと双生児の女神『アルテミス』の名が冠されるという米国の宇宙飛行士の新たな月面着陸計画である。・・・アルテミスは・・・気が強く、怒らせると残忍になる。・・・中国の月探査計画もやはり『嫦娥』という月の女神の名がついていることだ。人間を月に運ぶのは、またも地上の覇権争いか。なお米国が計画する月周回宇宙ステーションには日本も参加を決めている。何やらおっかなそうな女神たちのにらみ合いを想像すれば、今から身がすくむ」。
 (JN) 何度も述べているが、1969年の月面着陸はわくわくしながらテレビにかじりついていた。半世紀ほど前の話である。期待大きく宇宙開発は楽しみであるが、莫大な経費が掛かる。また表には出ないその目的を思うと、宇宙への出発を素直には受け取れない面もある。宇宙には、月にはどんな資源があろうか。月の裏には誰か住んでいないのか。生々しいことから、スペースオデュッセーの世界へ飛んで行ってしまう。欲がある以上、国家間の国際協力は難しいのであろうか。軍需産業と同様に、見えないとことが多き宇宙開発だ。

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