ガガーリン少佐の初飛行は、「実は賭けに近かった」と

(朝日「天声人語」2014年11月4日(火)) 今もそう言うのだろうか。サッカー少年だった昔、高く浮いて派手に外れたシュートを「宇宙開発」と言ってからかい合った。アポロ宇宙船で人類が月に降り立ったころ、世の中は宇宙づいていた。ケネディ大統領が「月をめざす」と演説したとき、米はまだ地球を回る軌道にも人を送っていなかった。しかし、それからわずか8年で、月面に星条旗を立てるのに成功する。宇宙開発は威信をかけた国家事業だった。巨費をつぎ込んで覇を競い合う。そうした時代をへて、宇宙空間はいまビジネス化が急だ。選ばれし者の世界だった宇宙への商業旅行はそこまで来ている。ところが先日、実現へ先頭を走る米ヴァージン・ギャラクティック社の宇宙船が、試験飛行中に墜落する事故が起きた。その直前にも、米で民間委託の無人ロケットが打ち上げに失敗して爆発している。技術と安全は、「夢」という漠然とした言葉では語りえぬリアルな課題である。米国を圧したガガーリン少佐の初飛行は、「実は賭けに近かった」と当時のソ連国防省幹部がのちに語っている。威信とは無縁に「乗客」が宇宙へ飛び出す夢飛行は、おおらかでありたい。安全をとことん高めてほしい。
(JN) 食べることに一生懸命であった私の身辺は、高く浮いてしまったシュートや野球の打球は、宇宙開発ではなく、テンプラであった。それから日本の宇宙開発も随分進み、ペンシルロケットであったことと異なり、成功率が上がり信頼が高まった。しかし、有人飛行まではまだ進んでいない。日本はその安全性が確実にならない限り、「賭け」で上げるようなことはしない。大事な人材を私たちは失ってはならない。二度と第二次大戦のような犠牲者を出すような行動をとってはならない。まだ一般人が宇宙に行くのは、探検・冒険であるが、何れはこの狭くなった地球から宇宙へ移住する人類が現れるのであろう。そのために、商業主義の価格優先ではなく、安全大優先の開発であるべきだろうが、この予算はどこから捻出するのか。
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