#自動車の追突事故が保育園児の列へ

#自動車の追突事故が保育園児の列へ<2019年5月9日(木)>
 「<あるくのだいすき どんどんいこう>。続きの歌詞に今は胸がふさがる」。『筆洗』(190509)は大津市での交通事故について語る。「散歩中のことだったと聞く。どんなに怖かったことか。こどもの日から遠くない五月の明るい日。ただ、いつものように散歩を楽しんでいた幼子が突然の事故に巻き込まれ、大切な命を失った。<あるくのだいすき どんどんいこう>はもう帰らない。前日まで元気で笑っていた子、歩いていた子。家族の悲しみの大きさを思えば筆が止まる。何があったのか。調べを待つが、くやしさにうめく。こんなこと、あってたまるか」。
 (JN) 居た堪らない。このニュースの度に、なんでこんなことがと。凶器となった自動車から身を守るのは難しい。弱い生身の人間が自動車の犠牲になる。自動車のパワーをもう人間がコントロールすることが難しい。早く、自動運転が進まないか。でも、今は、乗る者が責任を以て運転をしなければならない。それは運転技術はもちろんだが、運転する者の心構えである。急ぐあまり、注意力が落ちる。自分は破壊力のあるロボットを操縦してことを理解することである。咄嗟の時にどうするか、常に体に言い聞かせよ。考える時間に自動車は動く。正しい運転とともに、事故に対する教習が必要だ。

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