『「全能の目」に射すくめられる今日の日本人』<

『「全能の目」に射すくめられる今日の日本人』<2018年12月28日(金)>
 米1ドル札の裏面の「プロビデンスの目」は「人の心の中まで見抜く全能の目が作る新秩序」。『余録』(181228)は、GAFAの脅威と、日本を思う。「巨大IT企業の規制にむけた日本政府の動きが始まった。個人情報の蓄積とともに、その力を背景にした不当な市場支配が懸念されているからである。政府はデータの独占を防いで公正な競争環境を保つルール作りをめざすが、規制強化によって技術革新が阻まれる事態は避けたい。・・・気がつけば隣の中国でもアリババ、テンセントなど巨大IT企業がいくつも成長し、日本市場をうかがう。あっちからもこっちからも、にらみを利かす『全能の目』に射すくめられる今日の日本人である」。
 (JN) GAFAは我々の生活に必要なものなのだろうか。確かに日々というか、かなりの頻度で利用している。仕事においても私生活においても、どんどん入り込んできた。知らぬ間に、グーグルのメールを利用し、iPhoneを使ってフェイスブックをシェアし、お買い物はアマゾンだ。ここに皆の個人情報が蓄積されている。好みから考え方まで、知られている。私一人の個人はどうでもよいが、その個人の大きな塊となった情報は、使いようで、力となる。国民を制御したい国家としては、如何にしてIT企業を抑え込めるかと考えようが、企業は国籍を超えて拡大を続ける。時間とともに変化し掴めない。さて、資本はどちらに味方をするのであろうか。いずれにしても、私たちはどちらかに監視されるようだ。