『ふとんの重みでも骨折する』

『ふとんの重みでも骨折する』<2018年5月8日(火)>
 イタイイタイ病、「国が日本で初めての公害病と認定したのは、昭和43年5月8日。50年前のきょうである」。『春秋』(180508)は続ける。「神通川上流からの『鉱毒』が下流域の農作物の生育をそこなっているとの声は、もう19世紀末にあった。・・・政府が公害と認め、裁判を通じて企業が責任を負うまでには、なお長い年月を要した。半世紀を経て、公害を防ぐための規制はそれなりに整い、公害という言葉に触れることも減った。それでも、救済を求める声は今もある。規制に穴があり徹底していない、との指摘も少なくない。アジアやアフリカなどの新興国ではむしろ深刻になっているところもある。公害は過去のものではない。あらためて胸に刻む」。
 (JN) 高度成長期の影の部分を私たちは忘れてはならない。それは、人を人と思わぬ現状を起こしてはならないとことをである。現象が出て、それが公害として認めることに時間のかかる。弱き被害者より、国や企業の立場が優先される。科学者がこれに対して、どういう態度を取るか。世は冷たいもの。優秀な御用科学者の分析により、現実がゆがめられることがあるかもしれない。司法はどうだろう。行政寄りだろうか。経済優先で、人の生命が疎かにされる。何のための経済優先であるか。豊かな生活を送れるはずが、公害で苦しむことになるとは。日本ではもう昔話であるのか、今も続いているのか。新興国にはそんな悲劇が生じないようにせねばならないが、それは難しいのであろうか。せめて公害を輸出せぬようにしたい。