『厚底シューズの使用規制について』

 裸で競技した古代ギリシャオリンピック。その裸は初め競争に有利であったかだらだったと『余録(200118)』は伝える。そして、厚底シューズの規制に申す。「 速く走れると評判のナイキの厚底シューズの普及による箱根駅伝の記録ラッシュに驚いていたら、今度はその使用を世界陸連が規制するという英メディアの報道である。思い出したのは10年前に禁止となった競泳用高速水着の騒ぎだ。・・・アスリートから『どちらでもいいから早く決めて』の声があがる。『ドーピングシューズ』と難じる声はあるものの、人の力を効率よく使うハイテクがどこから禁じられるべきかは難しい。公平といえば古代ギリシャ人の行きついた究極の策もあるが、むろん推奨しない」。
 (JN) 韋駄天は足袋で走り、アベベははだしで走った。でも、足の裏を守るには、それなりの底が必要である。アベベも東京では靴を履いた。肉体の限界はそれを補完する科学や技術に頼る。技術の差が競技の公平性を守れない。企業の利権がどうなのか。オリンピックは心身の闘いであるだけか。何が大事なのであろうか。規制するとなると何を規制するのだろうか。21世紀のオリンピックは既にアメリカ企業の利権のためにある。公平というものをなんと考えようか。
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