『元沖縄県知事、元参院議員の大田昌秀さんが亡くなられた』

『元沖縄県知事、元参院議員の大田昌秀さんが亡くなられた』<2017年6月13日(火)>
 大田昌秀さんを「筆洗」(170613)は「選挙で勝っても万歳を絶対に口にしなかった数少ない人」ととして伝える。そして「万歳という行為がいやでも『戦争』に結び付いてしまうためだと聞いた。強制的なかつての万歳の裏側で、どれだけの命が失われたか。それを唱えぬかわりに唱え続けることを選んだのは沖縄を基地の島としないための異議だった」と。また「天声人語」(170613)も大田さんを想う。「学者から沖縄県知事に就いていた1995年、米兵による少女暴行事件が起きた。『本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守ることができなかった』と語って、県民にわびた。二度と沖縄に惨事を起こさせないと何度も語っていた。『基地のない沖縄を』という大田さんの思いはいまだ遂げられていない。だからこそ向き合わねばならない。重い問いかけである。」
 (JN) 20年程前であろうか、沖縄へ出張へ行き、夜、那覇のスナックで飲んでいると、「いい人がいるから紹介するね」と一緒にいた地元の先生から、大田知事を紹介された。どのような言葉を交わしたかはもう覚えたいないが、握手の感触は柔らかく強かった。大田さんだけでなく、沖縄の人たちは柔らかくそして強い。私は沖縄の人たちが大好きである。こんな素敵な人たちがなぜに日本の犠牲になっているのか、それが辛い。外の者はそれで済むが、ここに生活する人々は、いつ軍事基地から解放されるのか。東京多摩地区に住んでいると、基地のことを忘れそうだが、やはり強大な基地が東京に銃口を向けているようにも感じることがある。日本は国家として独立しているのであろうか。あの中は日本ではないのか。大田さんは無念であったろうか、その無念を少しでも改善をしていくのが私たち日本に住む者の務めである。