『現代の「災」という字の裏には自然ばかりではなく・・・』

『現代の「災」という字の裏には自然ばかりではなく間違いなく人間がいる』<2018年12月13日(木)>
 「災難に逢(あ)う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候」。『筆洗』(181213)は、「災難を逃れる方法」として良寛さんの言葉を伝える。「『わざわい』の『わざ』とは神の行為の意味と聞く。良寛の時代なら、なるほど『災』は自然現象に他ならぬが、異常気象の背景とされる地球温暖化を思えば、現代の『災』という字の裏には自然ばかりではなく間違いなく人間がいる。人が対策をすれば、人があらためれば、『災』の字を小さくできぬか。そう考えた時、良寛さまは笑おうが、『災難に逢うがよく候』とはあきらめきれぬ」。
 (JN) 災いは様々なところや機会に襲ってくる。未然に対策して避けられることもあろうが、災いとは予期せぬことが多い。従って、災いを被ってもその影響が少なくなるように、また連鎖させないように心掛けねばならない。でも、人は今に生きる故、予めのことが中々できない。そう、地球温暖化など学者たちが言っていようが、一般の国民には関係ない。異常気象は、神のなせる業であり、二酸化炭素の多量排出の制限必要なしと思いたくなる。でも、災は人のなせる業なのである。自然現象は、現象であり、それを災いとするかは私たちなのである。