『自分にだけは甘いカッターだったとは』

『自分にだけは甘いカッターだったとは』<2018年11月21日(水)>
 カルロス・ゴーン容疑者のこれまでのその行動を見て、『筆洗』(181121)は、山口瞳氏の話を持ち出す。「顔見知りだった出版社の女性社員が会社の外で公衆電話を使っている・・・母親が病気で日に何度も電話しなければならなかったと知る。・・・いつもハイヤーで自宅に送ってくれるが、到着するとハイヤーを帰し自分は電車で帰っていく。・・・公私の区別を付け、そうしなかった二人を山口さんは「信頼される社員」として挙げている。・・・カルロス・ゴーン容疑者・・・経費削減の『コストカッター』で鳴らしたが、自分にだけは甘いカッターだった」。
 (JN) 当方、。禅宗の貧乏な家の者ゆえ、カルロス・ゴーンの気持ちがわからない。大体、徳の感覚が違うのだろう。質素に、たくましく、仲間とともに、協力をして行く。困っている者あれば、皆で困る。できる者がやり、ある者が払う。職場では、飲み食いは自分の金でと散々言われてきた。経営が苦しい会社でも、人事に手をつけるのは最後の方である。しかも、弱いものはできるだけ切らず、高給取りから切って行く。ゴーンが、日産を再建し5年で辞めていれば、大きな給料泥棒を切ったと、ゴーンの株がもっと上がったであろうに。さて「コストカッター」は今後、どう評価されようか。塀の中に入らなくとも、禅寺へ行ってはどうだ。