『場所が変わっても、江戸っ子気質は魚河岸を支える・・・』

『場所が変わっても、江戸っ子気質は魚河岸を支える人々の間で受け継がれていくだろう』<2018年10月6日(土)>
 日本橋のたもとには乙姫の像が建つ。「竜宮城のように各地から魚介類が集まったからだという」。『余録』(181006)は「日本橋魚市場発祥の地」の碑を紹介し、本日の築地を思う。「日本橋市場は300年に及ぶ歴史を経て、関東大震災を機に築地へ移転する。その築地市場もきょう83年の歴史に幕を下ろす。・・・日本橋から築地、そして豊洲へ。場所が変わっても、江戸っ子気質は魚河岸を支える人々の間で受け継がれていくだろう」。
 (JN) やっと、お引越しになる。新しい市場は、これからどうなって行くのであろうか。跡地の築地はどんな活用が待っているのか。新しいことをするのは勇気がいる。今を守ろうと人は反対をする。でも、新しいことには期待があり、豊洲へわくわくし、古くなったところ忘れられて行くのか。その古い日本橋の魚市場発祥の地の乙姫は、忙しく通り過ぎる人には気づかれないかもしれない。私も、忙しい人間ではないが気づいたのはつい最近である。過去の遺産は、そこに何かを意味しているので、名称や碑は注意深く見てゆかねばならない。さて、築地にはどんな碑ができるのか、できないのか。忘れ去られるのか。江戸の伝統は、豊洲へ伝わって行くのか。