『小池知事による「東京裁判」はどうなるだろう』

<2016年10月9日(日)>
『小池知事による「東京裁判」はどうなるだろう』

 丸山真男は、1945年8月6日爆心地から約4キロの場所に居た。「『自分は傍観者」として、被爆者手帳の申請はしなかった。戦後、戦前の軍部による支配を『無責任の体系』と呼んだ」。「春秋」(161009)は、今の無責任体制に対する小池知事をこれに比する。「『無責任体制』と断じ2週間余。依然、いつ、誰の、どんな判断で地下空間ができたのか、わからぬ状態が続く。『監察の観点からヒアリングする』と息巻く小池知事による『東京裁判』はどうなるだろう。『築地直送!』に代わり『豊洲直送!』を消費者が受け入れる日はいつか」。

 都の職員は、関係者以外が傍観者でもなく我関せずか、当事者は感ずることなく、すり抜けていくのか。都民自体が騒いで忘れていくのか。「無責任体制」はどこまで広がるのか。どんな「空気の中で進んで」行くのであろうか。莫大な予算を要し、未来を見据えたこの事業がこんなにいい加減なのか。それを許す空気環境を野放しにしていた都民は笑いものなのである。都民自身が、健全な行政となるために、都知事や都議を選ばねばならない。(JN)