『おまわりさん、いつでも戦えるための警戒は・・・』

『おまわりさん、いつでも戦えるための警戒は怠らずに構えよ』<2018年9月25日(火)>
 「市民を守り、自分もけがをしてほしくない。そう語っていた教官の危惧が、またも現実になってしまった」。『春秋』(180925)は交番について思う。「日本の交番制度は良好な治安を支えるシステムとして海外でも評価され、シンガポールやブラジルなどに『輸出』されている。困った人、助けを求める人、誰もが立ち寄りやすいようにやさしく親切に応対すべし。だが万一に備え、いつでも戦えるための警戒は怠らずに構えよ。口で言うほど、やさしいことではあるまい。中へ入るや否や、警察官が一斉に拳銃に手をかけるような交番に落とし物を届けようとは思わないだろう。・・・開かれた交番の難しさを思う」。
 (JN) おまわりさんは役人である。身近な役人である。交番と言う出張所で、親身に我々に対応をしてくれる。でも、何事もそうだが、結局は人物によろうか。親身になって道を教えてくれる者もいれば、いわゆる、役人風に冷たい者もいる。愛想良くしてよとまではいわないが、威圧的な場合もある。こういったサービスを得意とする者もいれば、早く交番の仕事から脱したいという者いるだろう。一方で、交番に行く者も、様々である。警官を憎んでいる者もいるだろうし、憎んでいなくとも危害を加えようとする者がいる。他人と他人が接する場は、大変である。日本は銃刀所持が厳しいが、そうでない国は交番の機能が難しかろう。でも、安全な国と思っていた日本、なかなか大変な時代になってきたようである。