『彼岸花の赤から陰影が完全に消えたら、ごんぎつねの・・・』

彼岸花の赤から陰影が完全に消えたら、ごんぎつねの悲しみも伝わらなくなるだろう』<2018年9月24日(月)>
 「彼岸花を見ると新美南吉の童話「ごんぎつね」を思い出す」。『余録』(180924)はお彼岸の時期にあたり、日本の墓地事情を思う。彼岸花」が「墓地に植えられたのは土葬の遺体をモグラから守るためだった。不吉なイメージには墓場の風景が重なっている。火葬が行き渡り、そうした文化的背景も薄れた。・・・時と共に移ろうのは花に限らない。縁遠くなった故郷の墓を都会に移す人が増えた。・・・カード1枚で遺骨が機械で目の前に運ばれて来るらしい。いずれコンビニエンスストアのように簡便な墓参りが当たり前になるのだろうか。動物で人間だけが死者を弔う。彼岸花の赤から陰影が完全に消えたら、ごんぎつねの悲しみも伝わらなくなるだろう」。
 (JN) 昨日、墓参りをしてきた。その墓は、『余禄』が述べているように、カード1枚の墓地である。都内某所のこの墓地、昨日は込み合っていたため、順番待ちであった。カードをピッとすると、ディスプレイに順番が表示される。順番が来るとその旨が表示され、場所の表示がなされ、そこへ赴く。そこでボタンを押すと我が家の名前と紋章の入ったパネルが現れる。この奥に父と母が眠る。花や線香は準備されている。草むしりをすることもなく、両親にここ数か月の報告をし、今後の家族の無事を願い、昼食に向かった。もう、曼殊沙華も狐も出てこない世界である。「ごんぎつね」は今も小学校の教材に使われているのか、どうなのか。「ごんぎつね」のこの世界を想像するためには、様々な知識と感情が必要だ。なかなか難しい教材である。