『100年に1度とされた「リーマン・ショック」から・・・』

『100年に1度とされた「リーマン・ショック」から10年を経た』<2018年9月15日(土)>
 「100円でポテトチップスは買えますが……ポテトチップスで100円は買えません」。『春秋』(180915)は、このCMは「全ての商品と交換できるお金の特殊な性質を言い当てていたように思う」と。「金融は経済の血流だという。人間の体と同じく、日々の活動に潜む変調とか悪習の積み重ねが、よどみや滞留の原因になるというなら、一種の生活習慣病に例えられようか。システムそのものより、マネジメントする我々の心がけが課題なのであろう。『金とともにある時、私は不老不死だ』。映画『マルサの女2』で脱税容疑の男が叫んでいた。ショック前、ウォール街の腕っこきも、こんな万能感に浸っていたか。だが、歴史が証した。危機を防ぐ処方箋はどこにも売っていないということである」。
 (JN) 恐慌そして不況に陥る原理はわかっているが、愚かなる人類は繰り返しこの落とし穴に滑り込んでいく。このお金と言う価値尺度は伸縮自在であり、その動きは時とところが変われば変わるので、100円でポテトチップが買えなくなったり、沢山買えたり、得体のしれない魔法のチップや紙切れである。硬貨は価値を失っても武器になりそうだが、紙切れは鼻もかめない価値のない紙であるが、膨大な商品の大様として君臨している。これもそれも、我が欲望のなすところである。金融資本を動かして金を儲けようという者あれば、また政治権力を維持するがために矢を打ち込むのだという者もあり、バズーカの威力を自慢するものもある。恐慌や不況の処方箋は人の欲望と価値の在り方を変える処方箋を作り出さねばならない。