富岡製糸場、変革期の物語を伝える名所になってほしい。

(日経「春秋」2014/4/29付) 勤め先がどこかと聞かれて、得意げに会社の名を言う人もいる。逆に「ごく普通のサラリーマンです」などと口の中でぼそぼそ語る人もいる。明治初期に富岡製糸場で働く工員たちは、どうだったか。工場を案内するボランティア男性によれば「全国の若い女性のあこがれの職場だった」という。ワインを飲む外国人の姿が「生き血を吸われる」と恐れられた時代である。いま風にいえば「ブラック企業」の風評がもし広がれば、国運を賭けた官営事業は失敗に終わっていたかもしれない。その「富岡」が世界文化遺産に登録される見通しとなった。たしかにレンガ造りの工場は立派だが、建物や機械など「モノ」だけを見学するのなら物足りない。工業化への道の裏側には、悩みながら改革に挑んだ地域社会と人がいる。変革期の物語を伝える名所になってほしい。
(JN) 日本の資本主義のスタートを担った繊維産業、それは、多くの人々の犠牲の上に乗っていた。最先端技術とは裏腹に、労働者は、正に「生き血を吸われる」のであった。私たちは、この歴史を理解して行かねばならない。これは、日本だけのことではな。また、過去のことではない。このことを脳裏に刻み、世界遺産の価値を考えよう。
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