『郵便番号システムを開発した東芝、若手を思いきって・・・』

『郵便番号システムを開発した東芝、若手を思いきって登用し、力を発揮する場をつくる。半世紀前に好例がある』<2018年7月1日(日)>
 「郵便番号制度が始まったのは、ちょうど50年前のきょうだ」。『春秋』(180701)は、このシステムを開発した東芝に思う。「20代の技術者らがプロジェクトの中心になった。・・・郵便物自動処理装置は輸出も始め、国内外での実績は東芝が、自動改札機など他の省力化機器を伸ばすうえでも役立った。いま同社には投資家から、半導体モリー事業を手放した後の成長戦略がみえないとの声がある。奇手妙手はないだろう。若手を思いきって登用し、力を発揮する場をつくる。半世紀前に好例がある」。
 (JN) 郵便番号の導入の時、子供心に「すごいな」と思うばかりであったように記憶している。あの頃、1960年代後半はどんな時期であったろうか。「いざなぎ景気」真っ最中だったろうか、イケイケ・ドンドンであったか。そんな中、今話題の日大が「使途不明金20億円」、メキシコオリンピックでは釜本が大活躍、小笠原諸島が返ってきた。三億円事件、日本初の心臓移植手術、川端康成ノーベル文学賞を受賞。経済だけでなく、技術や文化も世界に追いつけ追い越せであったか。戦後生まれが社会に出始めた。大学では学生運動の中心になっていったころだろうか。その頃の若手は夢を持ち、大きな塊で日本の中心となり、引退していった。今、少数派の若者はどんな夢を描き、活躍していくか。