『司法への信頼を根底で支えるのは神ならぬ人が人を・・・』

『司法への信頼を根底で支えるのは神ならぬ人が人を裁くことへの苦悩かもしれぬ』<2018年6月12日(火)>
 袴田巌さんの第2次再審請求、東京高裁は再審開始を認めた静岡地裁の決定を取り消した。『春秋』(180612)は、「東電OL殺人事件」を思う。無期懲役は、その後、DNA鑑定結果で再審、そして無罪となった。今回は「DNA型鑑定の信用性などについて地裁、高裁で判断が割れた。裁判所の事実認定は常に正しいのか。そんな葛藤から死刑廃止を唱えた元最高裁判事、団藤重光さんを取材したことがある。司法への信頼を根底で支えるのは神ならぬ人が人を裁くことへの苦悩かもしれぬ、と感じた。高裁は死刑と拘置の執行を停止した地裁決定は支持。袴田さんは再収監されない。苦悩の一端だろうか」。
 (JN) 真実というものは、立場が変われば変わってくるのか。それは、解釈なのであろうか。佐野眞一の「東電OL殺人事件」を何年前であろうか、読み込み無期懲役に矛盾を感じる中、再審で無罪を得たことに他人ごとながら安堵した思いである。小説やTVの影響を受けすぎているかもしれないが、警察側はストーリーを作り、それに沿って組み立てていくので、そのストーリーが誤っていても、他のストーリーを作り得ないのか。ここの任務は何であるのかと思うところである。杉下右京のような刑事も、世の中にいるのでしょうが、真実だけでは世の中通らないのであろうか。現場、そして司法がどこまでできるのか。ここも何か上下左右と様々な関係があるのか。科学的にできない権力。権威の維持やバランスより、人の生活の方が大事なはずなのに。