『ウナギなどのかば焼きが昨年、捨てられた量は・・・』

『ウナギなどのかば焼きが昨年、捨てられた量は、なんと二・七トンに及ぶそうだ』<2018年6月7日(木)>
 「高倉健さんはウナギを食べるのが苦手だったそうだ」と『筆洗』(180607)は伝える。それは「小学生の時に肺の病気になり、・・・お母さんは病に伏せる高倉少年に毎日毎日、ウナギを食べさせたそうだ。・・・さすがに毎日となると『つらかった』。それで苦手になってしまったと書いていらっしゃる」。そのウナギ、「昨年、捨てられた量は、なんと二・七トンに及ぶそうだ。・・・絶滅が心配されるニホンウナギである、不漁だ、値上がりだと大騒ぎになるわりに、その裏側ではさばききれぬまま、大量に捨てられているとはもったいないを通り越して愚かしい話である。人の口に入らず、味をほめられることもなく、ただ捨てられているとすれば、そのウナギは殺され損である。・・『死んで貰(もら)います』だけでは、ウナギも浮かばれまい」。
 (JN) ウナギが大量に食べられずに処分されているとはなんと悲しい事か。この資本主義の世の中、行動の尺度が利潤であるため、ウナギだけでなく、食料商品は大量につくられ、大量に捨てられる。資本主義を捨てることは出来ないので、ウナギを捨てなければならない。一方で、値段はうなぎのぼりになって行く。一般市民にはますます手が出ないものになろうか。それでも、捨てられるウナギはあろうか。ウナギには「ごめんね」と謝るしかない。そして、もうウナギが苦手になるほどの食べることはできなくなろうか。仕方ないので、ご飯を持ってウナギ屋の前に行き、香を楽しみながらご飯を食べよう。最後は記憶だ。その記憶で、否、コンピュータの力で、バーチャルうな丼をいただこう。