われらの健さんが亡くなった

(日経「春秋」2014/11/19付) 高倉健さん、思えばアウトローにぴったりの面差しなのだが、東映ニューフェースで登場しただけに長い回り道をたどった。世の理不尽に耐えに耐えたあげく敵陣に切り込んでいく、というストイシズムを鮮やかに体現できたのはそういう苦労のたまものだったかもしれない。あの寡黙にはさまざまな言葉があった。60年に及ぶ映画人生を生き抜いた、われらの健さんが亡くなった。任侠(にんきょう)ものを離れてからは年々また新たな風格をたたえ、この人の名を知らぬ日本人はいないだろう。「駅」「居酒屋兆治」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」……。そこに登場する孤高の男は、役を抜け出して高倉健そのものでもあったのだ。日本映画の全盛期にデビューし、斜陽の時代にも気を吐き、80歳を超えても演じ続けた人が消えた喪失感はファンの胸に日増しに募ろう。スクリーンの健さんに揺さぶられ、映画館を出てもしばらくはその気分で街を歩いた――。それは昭和のいつかであったが、昨日のような気がする。
(JN) 映画やその俳優たちは、常に我々に何かを訴えてきた。健さんは、アウトローから日本社会の問題点を浮き彫りにしてきたようだが、私はそれを知らない。やくざと言うもの自体を理解できないので、観ることが無かった。しかし、晩年の作品からテレビでの放映でチャンスがあり、数件の映画を見た。そこでは、刀を振り回すことのない不器用な男であった。それは、派手さはなく、一人の男として、その力に魅せられた。昭和の男がまたいなくなる。ありがとうございました健さん。黄泉の世界では、いっぱい喋ってください。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO79889390Z11C14A1MM8000/