『三べん唱えると、あら不思議、こんなところに…』

『三べん唱えると、あら不思議、こんなところに…』<2018年5月24日(木)>
 「財務省森友学園側との交渉記録・・・結局は見つかった」。これを『筆洗』(180524)は「廃棄したという国会答弁とのつじつま合わせで、廃棄を指示していたとは、情けなさで震えてくる。『残っていない』ではなく、政権にあだとなる不都合な記録を役所が隠し、国民をだましていたことに他ならぬ。この一件だけで政権が吹っ飛んでも不思議ではない。さて政権は『清水の…』『聖アントニオ』と三べん唱えるか。見つかるまい。国民の信用という名の、その失せ物は」。
 (JN) 基本的には、お利口さんであり、真面目な公務員が虚偽のお付き合いをするのが難しいのではないか。それに、文書は自分たちの生命であるので、なくすことができまい。おまじないなどしなくとも、隠してあるはずだ。こんな隠し事にお付き合いをしなければ、もっと良い仕事ができたであろうに、国民が選んだ人がここまでこうであるとは、頭の回る人々にも付き合いきれない。高価な労働力をよくもこんなに浪費したものだ。この消えた時間と経費は、どんなにおまじないをしても戻ってこない。そして、まだ失ってゆく。何とかならぬものか。ドラえもんでは。国民の力であろう。