『若者が今、少しでも動かそうともがいている』

『若者が今、少しでも動かそうともがいている』<2018年3月27日(火)>
 「時代は変わる」。『筆洗』(180327)は銃規制を求める高校生たちの姿に応援する。「首都ワシントンでの行進には約八十万人(主催者発表)が集まった。仲間を銃に奪われた高校生たちの声は歴史的な規模の集会へと姿を変えた。時代を変えることはできるか。暗殺、乱射。相次ぐ銃の事件にもびくともしなかった米国の歯車を若者が今、少しでも動かそうともがいている。大人たちが手を貸そうとしている。それが、『八十万人』の意味であろう。身近にいた人を銃で亡くした悲しみの力が一つに集まろうとしている。『時代は変わる』を祈りたい」。
 (JN) 共和主義は自らの自由を自ら守るために闘う。闘うというと銃の所持して闘うことを単純に思うのは間違えであろう。人の命を簡単に奪い取ってしまう銃を自由にできなくすることで、自分たちの自由を守ることが、この米国において起こる銃乱射における被害をなくすことではないのか。この銃は生産物であり、商品である。従って、銃にはカネがぶら下がっている。そして、政治家がぶら下がっている。人の命より、カネや票が大事な輩がいる。この輩は自分たちの既得権を是が非でも守ろうとする。これを変えなければならない。「時代が変わる」ためには、行動し替えなければならない。それは声である。「みんな集まってよく聞くんだ 目を開けて時代をよく見ろよ」。西部開拓、アメリカ・インディアン迫害、黒人奴隷の時代ではない。「時代は変わってゆく」。がんばれ、若者たち。