『政治・軍事の当事者たちには歴史に対する責任感・・・』

『政治・軍事の当事者たちには歴史に対する責任感が欠けていた』<2018年3月16日(金)>
 「資料や文書を焼却せよとの指示が政府から出たためだ。作業は何日も続き、あの戦争の中で誰がどんな指示を出し、物事がどう決まったのか、相当の事実が闇へと消えた」。『春秋』(180316)は、保阪正康さんの指摘を紹介する。「政治・軍事の当事者たちには歴史に対する責任感が欠けていたと保阪さんは語る。森友学園への国有地売却を巡る文書の件・・・いま日本で政治に携わる人々の『記録』に関する認識に、やや危なっかしい面があることを期せずしてあぶり出した。50年後、100年後の人々から判断を仰ぐための起点は正しい記録だ。昭和20年に比べ日本の政治は変わったか。証言者は事実を隠さず語り、歴史への責任を果たしてほしい」。
 (JN) まだ文部省であった昭和のころは、申請や変更の手続きや事前相談で、風呂敷を抱えて虎ノ門へ行った。エレベータを降り目的のフロア、廊下には段ボールの山である。我々の書類も、ここのどこかにあるのか。消防法はここにでは関係ないのか。部屋へ入っても紙だらけ。あのころは紙しか記録方法がなかったから、紙だらけで整理や廃棄などできない状況であったろう。今では電子媒体が主流であろうが、やはり紙が大事だ。この書類は証拠であり、関わった者の大事な記録である。組織で動く以上、我が身を守るためにも紙紙紙様である。そう簡単に廃棄できない。また廃棄するなどと役所の者は考えないであろう。そう考え、そう言えというのは、役所の者ではないであろう考えてしまうが、どうなのでしょう。