『そもそもテロ自体、感染症のようなものなのだ』

『そもそもテロ自体、感染症のようなものなのだ』
 「自爆、ホームグロウン(自国育ち)、ローンウルフ(一匹おおかみ)。テロリストを形容するこうした言葉を聞けば、テロを防ぐことの難しさが伝わってくる」。「春秋」(日経/2016/3/24)は、テロ対策に「力で封じ込める対症療法は必要だが、克服するためには根本的な治療しかない。多様な価値観や異なる主張を認め合う社会へと変えていく。それしかないと分かってはいるのだが」と。
 自分の国内から発生するテロリストを無くすためにはどうすれば良いのか。言わば、体内の癌である。この癌というものは、早めに発見し、小さいうちに退治しないと、体中に蔓延する。そして、私たちは死に至る。死んでしまえば、それで私たちも癌も終わりとなる。でも、人間も国も癌やテロに、そのようにさせるわけにはいかない。国内発生型テロは発見が難しい。誰も彼も疑っては、信用世界が成り立たない。こんな状況下では、そのうち、それぞれの固定化した閉鎖社会ができて行き、排他的な社会になってしまう。大衆は津よs木の排他主義を喜ぶ。多様性を認め合う社会づくりは頓挫し、更なる排他社会が到来してしまう。それともテロが大暴れして、国内は荒廃して行くだけなのか。(JN)