『23日間のすさまじき「放浪記」に嘆息が収まらない』

『23日間のすさまじき「放浪記」に嘆息が収まらない』<2018年5月2日(水)>
 各紙、瀬戸内海での脱走劇終了にもの申す。『春秋』(180502)は林芙美子の「放浪記」の一節から始めて、思う。「まだ27歳。そう遠くない将来に社会復帰が許されるはずだったろうに、なぜこんな挙に及んだのか、背景に何があったのか。最後は観念して路上で組み伏せられた男の、23日間のすさまじき『放浪記』に嘆息が収まらない」と。『余録』(180502)は、「服役者に社会復帰への道筋を自覚させてきた塀のない刑務所だが、もちろん地域社会の理解なしにありえない。ここは男を斜めに駆けあがらせた刑務所内の見えない塀を探し出し、取り払わなければなるまい」と。『筆洗』(180402)は「存外、当節風の脱走なのかもしれぬ。逃げ出したのはいわゆる塀のない刑務所。脱走の理由には断じてならないが、一般社会に近い環境の中にかえって面倒な人間関係があったのか。再発防止のためにも理由をよく聞かねばなるまい。隠れていたのは人口減で増えた空き家。解決にほっとする一方、このあたりにも、平成ニッポンの問題が隠れている」と。
 (JN) やっと見つけた、というところである。よくもこれだけ逃げられとことか。警察の皆様、ご苦労様でした。地域の皆様も、心細かったことでしょう。向島が注目されていましたが、本州側でも緊張していたことでしょう。この日本で、こんなに逃げ隠れできるところがあるのか。日本の社会問題も浮き彫りになった。彼は最後につかまったところが広島市内、人の多いところのほうが、見つからないと思ったのか。無責任社会の大都市なら本当にそうかもしれない。カメラに見つからないようにすれば、そうかもしれない。まあ、こんな追走劇が生じないように、今回の問題分析を願う。