『触るものすべてを政治に変える北のパフォーマンス』

『触るものすべてを政治に変える北のパフォーマンス』<2018年2月9日(金)>
 「ギリシャの国々の間でのオリンピック休戦は『エケケイリア』という。ただこれも破られたことがなくはない」。『余録』(180209)は平昌オリンピックを思う。「鳴り物入りの代表団派遣の一方では、開幕前日に軍事パレードをくり広げてみせる。韓国内で「これでは平壌五輪だ」との声が出たのも仕方がない。それもこれも今日の五輪のエケケイリアの代償か。人間の尊厳、友情と相互理解、平和な社会−−五輪憲章のキーワードが指し示すスポーツの祭典本来の姿を、どうか輝かせてほしい平昌の『エケケイリア』の17日間である」。
 (JN) 平和とは休戦状態を言うのであろうか。私たちの学習してきた歴史は政治と戦争の歴史であるので、ついそう申してしまう。正に、朝鮮半島は休戦中であり、いつまた戦いが始まるのか。同じ民族同士でのにらみ合いの後ろには、大国が糸をまだ引いている。自国を守るために、他国の人民を別れ別れにしているというこの現実このままにしておいて良いものか。またこの現実を利用して権力の座を手に入れている金一族を許しておいて良いのか。米国が韓国に肩入れしていかなければ、朝鮮半島は北のものになるだろう。でも、いつまでもこの状態を続けることはできないであろう。本当に心が一緒になり南北朝鮮がオリンピックに臨めるのはいつであろうか。まずはこの『エケケイリア』の17日間が何をもたらすのか。そして、次はドタバタの東京、さてどうなる、どうする。