『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』

『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』<2018年2月2日(金)>
 江戸時代、「庶民の暮らす棟割り長屋が「焼家造り」と呼ばれた」。『余録』(180202)は、「高齢者や生活困窮者が暮らす場所の確保という社会的課題の周辺では、もしや防火の文明が先祖返りしてはいないか。憲法のいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を脅かす今日の焼家である」という。「多くの犠牲者を出す火災が高齢者や生活困窮者が暮らす建物で繰り返されるのはどうしたことだろう。生活に困窮した人たちが民間の支援を受けながら暮らしていた札幌市の住宅が焼け、11人が亡くなった。夜はスタッフがおらず、入居者だけだった出火当時だ。設置されていた火災報知機が作動したかは分かっていない。スプリンクラーはなく、過去のテレビ取材に支援団体の当時の代表は『公的援助なしに設置は不可能』と訴えていた」。
 (JN) 江戸時代に「焼家」と言われていた時に比べれば、日本の家屋も大分良くはなっているが、住居はその素材に燃えるものが使われている。全てを燃えないものにすることはできない。であるから、火がついてしまった時にいかに防ぐか、人を守るかである。特に、高齢者や身体の不自由な方々には、その配慮が必要である。例えば、高齢者だけを施設に押し込めるのだはなく、若者と一緒に暮らすコミュニティーを準備していけないか。私の職場の市では、その試みとして高齢化する団地にシェアハウスとして、若者に住居を提供し、地域活動を老若男女で行うことを始めている。行政やURのスタッフの知恵である。私たちにはコミュニテーが必要であり、SNSや仕事だけでなく、地域のコミュニティーを増やすべきである。それには年寄りの知恵と若者の力が必要であり、一緒に祭を楽しむ地域を作りたい。