『今こそ鄙住居』

『今こそ鄙住居』<2018年5月14日(月)>
 正岡子規は、都会人の夏目漱石が米が苗の実であることを知らず驚いたと(墨汁一滴)。『余録』(180514)は、「新品種が続々と登場し、都会の消費者にアピールする。生産者は必死だ。はやりの『攻めの農業』からすれば、当然の流れだろう。一方で、競争に敗れた地域の稲作が廃れていくのならやりきれない。コメも商品の一つではあるが、稲作は日本の大事な文化だからだ。売れる、売れないだけでは測れない価値がある。豆と麦の区別さえつかない・・・子規はそんな都会人への処方箋として『鄙(ひな)住居(ずまい)』、つまり田舎暮らしを一度はしなければならぬと『墨汁一滴』に記した。消費者がブランド米の名を知っていてもコメのありがたみが分かるとは限らない。子規なら、今こそ鄙住居を勧めるかもしれない」。
 (JN) 都会育ちというわけではないが、植物の種類を本当に知らない。都下の調布市に住んでいたので、少々田畑や肥溜めはあった。昭和30年代は田圃とキャベツ畑はあったがあったろうか。40年代になると大型団地などが、田畑を埋めていった。見渡す限りの稲穂がコンクリート住宅に変わり、川が整備されて、生態系が変わってしまった。半世紀前の私たち、小僧どもは、田圃の水の流れを変えて、農家の人に怒られたり、肥溜めをいたずらしてえらいことになったりした。それは、それなりに農業の一部を学習していた。子規は田舎暮らしを進めるその田舎も田畑が少なくなったが、できるだけ自然の中での生活を経験し、生き物たちやその環境への関心をもってもらうべきであろうか。貨幣価値でしかものが見られないようになっては、挙句の果ては仮想貨幣に心を奪われる淋しい者になろうか。