『又例の寄鍋にてもいたすべし』

『又例の寄鍋にてもいたすべし』<2018年1月14日(日)>
 銀ちゃんは大部屋組の連中に鍋をごちそうする。「まず、野菜でいいだろうが」。『筆洗』(180114)『蒲田行進曲』での一場面。「今年に限っては牛肉よりも野菜の数の方に目を光らせる銀ちゃんを想像する。昨年の長雨や天候不順の影響で野菜がひどく高騰しているそうだ。お鍋では主役クラスの白菜が平年に比べておよそ二倍。こうなると、鍋の中でクツクツと煮える白菜が光り輝いて見えてくる。<又例の寄鍋にてもいたすべし>高浜虚子。『又例の』ということは、この季節、鍋料理が多かったのだろう。野菜高騰の今年はちょっとうらやましい句か」。
 (JN) 鍋を囲んでの家族の夕食、社会人になるための家庭教育であろうか。この中で、美味しい食べ方と様々な社会の慣習を学んで行く。そのためには、野菜は大事な材料であろう。でも、お肉をいっぱい食べたい。野菜いらないよと、心で思ってしまう。ところが過日、息子夫婦とある料理屋でコースを頼んだら、鍋に野菜がなかった。二種類の鍋を頼んだ。女組は野菜があるが、男組に野菜がない。肉だけとは気が利いてるねと思ってた。食事も終わろうとするころ、店長が慌てて飛んできた。「失礼しました。野菜を・・・・」と。新人さんの担当であったのか、お陰で他のサービスが出たわけだが、やはり野菜は大事である。野菜の高値な今、野菜サラダもきれいに食べています。