『白河踊り』

『白河踊り』<2018年1月7日(日)>
 「白河市と、山口県萩(はぎ)市の間で交流の機運が高まっている」と『余録』(180107)は伝える。それは「白川踊り」である。この盆踊りは「白河に滞在した長州兵が現地で盆踊りを覚え、山口に帰って広げたらしい」。150年前の戊辰戦争が地域を結ぶ切っ掛けであった。「出だしの音程などが白河のものと共通している踊りが県内82地区で残っているという。郷土の踊りを通じて、かつて敵対した地方が親交を深め合う。歴史が紡ぐ交流の糸である」。
 (JN) この150年前を私たちはどれだけ正確に知りえているのか。たった150年の昔さえ、明らかでないことがある。また本当に、150年前は国内で教科書で習ったようなことが起きていたのか。権力者の歴史は、現在の権力者の都合が入るので、どこまで歴史が明らかにされていようか。従って、信ずるよりそのストーリーを愉しむしかないのか。1868年を基点とする歴史は一般大衆には何であったろうか。富国強兵は、大衆を苦しめてきた。権力者の思いによって大衆は犠牲になった。地域と地域がなぜに敵対しなければならないのだ。それを大衆文化の盆踊りが結び付けてくれた。美しい成功の歴史は楽しいが、大衆の苦しみや失敗はどこまで明らかになっているか。今後150年後の人たちが知るべきことは何か。私たち一人一人が思い悩み考え残し、「白川踊り」のような成果を生みだせるであろうか。