『黄金のエルサレム』

 <♪空気はワインのように澄み、松の香は鐘の音とともに黄昏(たそがれ)どきの風にのる…黄金のエルサレムよ…>。『筆洗』(171223)は、「『黄金のエルサレム』が歌い継がれて半世紀。中東和平の仲介者を任ずるはずの米政府が『エルサレムイスラエルの首都』と宣言したため、死者が出る事態となった。イスラエルの新聞によると、『黄金の…』の歌詞をパレスチナの人々も受け入れられるように改めて、ともに歌い継ごうという動きもあったそうだ。国際社会が伴奏すべきは、そういう『黄金のエルサレム』だろう」。
 (JN) 幸せを一部の者たちだけで独占しようとすれば、争いが起きることはわかっているのに、人類はそのような行動をとり、世界中に火種を作り出す愚かな生物である。また宗教が絡めばなお複雑だ。エルサレムを考える場合、過去現在未来と世界の在り方のバランスを配慮せねばならないが、多分、資本の僕であるトランプ氏には関係ないことなのだろうか。私たちの一般生活での行動も、こんなところかもしれない。目先の黄金に目が眩み行動をする。そもそも黄金とは何だろう。黄金の金貨であろうか、私たちの心はこんなものに支配されて人の心を踏みにじっているのだろうか。「黄金のエルサレム」を何とすべきか。