『ちゃぶ台にかわり、やがてダイニングテーブルに・・・』

『ちゃぶ台にかわり、やがてダイニングテーブルに――。食卓の変化は時代を映す』<2017年12月11日(月)>
 「『和食』が無形文化遺産に登録され4年。食文化を支える土台は崩れつつあるようだ」と『春秋』(171209)は言う。「明治の昔はめいめいのお膳だったのが、ちゃぶ台にかわり、やがてダイニングテーブルに――。そもそも全員がそろうことが非日常で、席が決まっていない。父親が補助椅子や、折り畳み式の卓を使うことも多い。皆が集まり同じものを食べることという形式の重要性も強調している。遠ざかろうとする伝統を少しでも引き戻すため、週末に家庭で試みてはいかがだろうか。もちろん、買い物、準備、後片付けに男性陣も加わって」と。
 (JN) 我が家の食堂のテーブルは、ずっと家族を見て来てくれた。引っ越しを繰り返しながらもずっと一緒であった。食事だけでなく、お勉強から様々な作業を受け入れてくれた。そのテーブルは私たちをどう見ているのだろうか。家族全員での食事は月に何回あったろうか。子供中心の家庭で、お父さんはなかなか仲間に入れない。平日はほぼ無理であり、可能性は日曜日の夕食ぐらいであろうか。その折角の一緒の時に、お父さんはつい、食べ方に小言を言い、嫌われてしまう。食事の準備から片付けまで、妻や子供たちにお任せのお父さん、これも顰蹙だ。我がテーブルは笑っているかな。