『ある家族の歴史』

『ある家族の歴史』<2018年8月23日(木)>
 「この夏、北海道のローカル線・札沼線に乗った」と『春秋』(180823)は廃線の進む地域に思う。「輸送密度が低く赤字を垂れ流しているのだ。が、驚いた。車両は満席。・・・目当ては「終着駅到達証明書」だ。・・・2歳ほどの孫を膝に抱いた女性がいた。ひと駅ごとに周囲の様子を語り聞かせている。・・・声をかけた。札幌市の川嶋洋子さん(64)。祖先は奈良県十津川村の出身。明治22年(1889年)、村を襲った水害で被災し、同胞とともに入植した。古里にちなみ開拓地を新十津川と名づけた。『廃線になる前に孫と沿線の懐かしい風景を見たかった』。ある家族の歴史を知り、木造の終着駅が忘れ得ぬ場所になった」。
 (JN) 私は、30年ぐらい住んでいた故郷があるが、その地元の者ではなかった。それに子供時代に活動母体となった学校の場所が住居と異なっていたため、何世代にもわたって生活を営んでいる方々のような思いに欠ける。それでも、その故郷には大事な記憶がある。歴史のその瞬間、瞬間は過去となって消えていくが、その場所は残り、ものは壊れるまで残る。そして、記録や私たちの記憶も残り、皆それぞれの心の中にある。特に、生まれ育ったところやルーツの場所への思いは、観光客とは異なる。北海道は、明治より開拓が進み、それとともに線路が伸びていった。それは、昭和半ばから反転した。北海道だけでなく、日本の人口は大都市に集中し、地方は人口減少・高齢化していった。そして、災害があると人は他へ移っていく。歴史ある故郷を離れることはどんな思いであろうか。