『沈黙が裏切りとなる時がある』

『沈黙が裏切りとなる時がある』〈2017年11月1日(水)〉
 「あと8カ月待てば名誉の除隊だった。でも罪なきベトナム人を傷つけたくなかった。今も後悔はない」。『春秋』(171101)は、「1967年。木枯らし吹く50年前のちょうど今ごろ。東京・新宿の音楽喫茶『風月堂
から出てきた若い米国人」の元脱走兵クレイグ・アンダーソンさんを紹介する。「半世紀ぶりに来日した。先週末、東京・立教大学で講演し、苦難の半生を振り返った。北朝鮮情勢など戦争と平和について恩ある日本の人々と語らいたい、とアンダーソンさん。キング牧師の演説を引き『沈黙が裏切りとなる時がある』と静かに話した。握手した手は、温かかった」。
 (JN) ベトナム戦争とは何であったのか。この戦争だけでない、戦争とは何のために行わねばならないのか。戦争に徴兵されたものは、身体の自由から精神の自由まで奪われ、恨んでもいない人々を殺傷せねばならない。権力者は奴隷である兵士をコマとして動かす。その際のコマが人間であることを忘れ、彼らの行為である殺人を正義として、彼らを鼓舞する。それの愚かな行為に、耐えられない苦しみを受けるが、それについて異を唱えたり、反対行動に出ることはできない。国の裏切り者となることが、どれほどつらいものか。それは当人だけではなく、自分の周囲に及ぼす影響は大きい。それでも、行動に出たことの価値を今、私たちはどう考えるべきであろうか。これほどのことでなくとも、何かおかしなことに、沈黙せず、異を唱える事を私たちは学ばなければならないであろう。