『「あらゆる選択肢がある」、花冷えのように身が震える』

『「あらゆる選択肢がある」、花冷えのように身が震える』<2017年4月8日(土)>
 各紙、米国のシリアへのミサイル攻撃に物申す。「赤ちゃんさえ残酷に殺害された」。「アサド政権の空軍基地へ、米軍が多数の巡航ミサイルを艦船から放った」。「春秋」は、「シリアから地中海を渡るなどし、命懸けで国外に逃れた難民はすでに500万人を超えたという。故国に残っている人のうち多くも住む家はないとされる。実力の応酬を続けているだけでは、争いに終止符を打ち、平穏なふるさとを取り戻すことはできまい」と。
 「天声人語」は、「安倍晋三首相は早々と『米国の決意』に支持を表明したが、熟慮をへてのことだろうか。多くの人が14年前のイラク戦争の始まりを思い起こしたのではないか。国連を無視した米国の行動を、当時の小泉純一郎首相は早々に支持した。だがブッシュ政権が攻撃の理由に掲げた『大量破壊兵器』は結局、見つからなかった」と。
 「余録」は、「クイ・ボノ」(それで誰が得をするのか?)と。「いきなり犯人を指さした『世界の警察官』の出現である。だしぬけの実力行使にはどんな政治的目算があったのか。シリア内戦の当事者はもちろん、ロシアや欧州、東アジアなど世界へのメッセージをもはらむトランプ政権の腕力の誇示である。だが先行きの見通しは一向に良くならない。『それで誰が得をするのか?』」。
 (JN) 一見、愛に満ちた正義感の実力行使? 否、単なる暴力のデモンストレーション。またも破壊力で制する方法をとるのか。商品経済の価値観以外を信用できない現在の人々には、約束など信用できず金と暴力で相手を圧するしかない。それができるのが、米国であり、そうしてきた。でも、局面的に圧制しても、何ら解決されず、現在も憎しみ合いが続く。資本力と火力の正義のこのバランスが今後どのように動いて行くのか。米国の傘の下にいる日本は、その火の粉がわが身に降りかからぬようにと隠れるかと思えば、勇気を奮ってその陰から支持すると。どうなのでしょう、それはだれのために発言しているのか。