『襲撃事件、「もうたくさんだ」』

『襲撃事件、「もうたくさんだ」』<2017年10月4日(水)>
 各紙、ラスベガスでの銃撃事件を問題にしている。『筆洗』は「今、三十二階の部屋の窓から事件現場を見下ろしてみればいい。見えるのは、血なまぐさき荒涼であろう。その光景は「銃を規制しない」という愚かな「大博打」を続けた結果である。それに大勢の人びとが巻き込まれた」と。『余録』は「米史上最悪の乱射なのにトランプ大統領の追悼コメントに銃規制の言葉はなかった。武器と本能のアンバランスによる惨禍を防ぐのは文明の責務である。何度もそう学びながら前へ進めない銃崇拝社会の迷路だ」と。『天声人語』は「『ジユウ』と『ジュウ』。銃規制に反対する人には、二つは分かちがたく結びついているようだ。自由な市民には、いつでも専制政治に立ち向かう権利があり、そのため銃がいる。かつては意味のあった議論でも今は日々の安全を損ねているだけだ」と。『春秋』は、「在任中にオバマ大統領は銃規制の強化をこころみたが、議会によって大部分が阻まれた。現職のドナルド・トランプ大統領はもともと規制に後ろ向きだ。社会の混迷をやわらげるべき政治が機能不全におちいったままにみえる。そして米株式市場では事件後、銃関連株が値上がりした。今更ながら心配な超大国の姿である」と。
 (JN) 米国民から銃を没収することはできるであろうか。この国の西部開拓の歴史とアイデンティティから、おいそれとはできないであろうが、このままでは、イスラムテロより過激で死傷者が多数でるこの行為をなんとするか。自分たちを守るためという銃が、自分たちの生命を脅かしている。これまで起きてきたことであるから、これからも起きるであろう。そして、銃火力の性能はさらに力強くなる。銃を規制しなければ、この殺人行為は永遠に続くであろう。銃を持つ自由と、生きる自由とどちらが大事なのか。まずは、的あてゲームを考えるべきだろうか。