『一定の技能が必要な行いを次々とAIがこなす。だと・・・』

『一定の技能が必要な行いを次々とAIがこなす。だとすれば人間に残された仕事は何か』<2017年8月3日(木)>
 『春秋』(170803)は、AIの能力は日進月歩、「一定の技能が必要な行いを次々とAIがこなす。そんな未来はすぐそこのようだ。だとすれば人間に残された仕事は何か」と問う。小説「白い巨塔」(山崎豊子)の一場面を出す。「X線写真からごく初期のがんを見つけた技量を、外科医の財前が自ら誇る。『微妙な陰影の読影は、いうなれば科学ではなく、一種の芸術なんだよ』。多くの医師が受け継いできた読影のノウハウも、AIに取って代わられそう」。人間に残るのは「『白い巨塔』では医師らの野心、嫉妬、うぬぼれに満ちた言動が執拗に描かれる。情念もあらわな『人間くさい』振る舞いが主役になるなら寂しい。AI時代、自らを捉え直すことが求められている」。
(JN) 身体の調子がどうであるか、AIに相談をする。どんな姿のお医者さんであろうか。いや、病院に行かなくとも、例えば、オフィスからでも、端末機に向かって顔を見せて、情報を言えば、AIに係れば多量な情報をつなぎ合わせることができる。間違いなく速やかに判断してくれる。薬は直ぐに配達されてくる。そうなったら、人間の医者はすることがなくなるのか。病院という形態はどうなっていくのか。薬局もAIで動くのか。人材を養成する大学はどのように変わっていくのか。それも、今後、AIが編み出して行くのか。病院から看護師がいなくなり、入院時はロボットが面倒をみてくれるのか、それとも自宅で看護されるのか。正確に正直に、人間を扱ってくれるのか。いや、AIに忖度などの能力も与えないと、人間の社会はやっていけないだろうか。そんな社会で小説はどんな役割をするのであろうか。