『いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵・・・』

『いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある』<2017年7月26日(水)>
 「減刑になることは、僕たちの存在が、社会で殺してもいいということ」「かわいそうだから障害児を殺した方がいいという、そんな愛ならば、いらない」。半世紀前の脳性麻痺の子を母親が殺害したとき、脳性まひの当事者らが思いを意見書で訴えた。『天声人語』(170726)は「津久井やまゆり園」の殺人事件から1年、答えが出ないことを思う「被告の男の思考そのものも異常だと片付けることができるのか、という問いではないか。『彼は正気だった』。和光大名誉教授の最首悟さんが事件後にそう語っていた。『いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの』」と。
 (JN) 私たちは、相対的に自分はどうであるか。また一般の大勢の中に含まれた存在であるのか。子供たちの学校における「いじめ」から職場におけるハラスメントや解雇問題まで、自分は普通であろうとし、また普通でないことを排除しようとする。でも、普通ってなんだろうか。そんなものないのではないか。互いのそれぞれの違いを認め合い、それを活かした社会をなぜ作ることができないのか。そこには、様々な生産と流通における人のあり方に問題があろう。特に、大人の社会では短期的な数量に追いまくられ、時間や命を失っていく。我々皆がこのことを考えねば、また同じことが起きる。