『被災地を気遣う善意の人にごみと呼ぶ人は少ないと思うが』

『被災地を気遣う善意の人にごみと呼ぶ人は少ないと思うが』2017年7月17日(月)>
 「ごみと呼ばないで。熊本県社会福祉協議会が発行する被災地ボランティア向けのガイドブック」。このこと『筆洗』(170717)の筆者は、母親の棺がが引っ越し荷物か何かのように扱われた気になったという「せーのっ」の掛け声、「目の前の悲しみの状況とはうまく釣り合わぬ」と表現する。「先の集中豪雨に襲われた九州北部の被災地にこの週末、大勢のボランティアが集まった。ありがたい。被災地を気遣う善意の人にごみと呼ぶ人は少ないと思うが念のため。それは家財道具という呼び方さえぶっきらぼうすぎる別れがたい『家族道具』である」。
 (JN) 自分の生活そのものであった家や家具には様々な思いがある。棺の運搬の掛け声には特に思うところはなかったが、自分の大事ものには他人にはわからぬ気持ちがこもっている。その意味はそれぞれに解釈が異なる。引っ越し、家の立て直し、他人の手で行われる。そんな時に思うこともある。これが被災地における片付けとなると、思いのある者には辛い。家族だけではできない。割り切って行うことは大変である。他人は機械的に動ける。ボランティアの皆さんにお任せするしかない。そのボランティアの皆さんの行動は、もの運びになってしまうが、行動の趣旨を充分に心得ていなければならない。また不安定な地面の日本、次は自分がお世話になるかもしれない。お互い様で黙々と活動する皆さんに感謝します。