『どこへいったのだろうと男性の身を案じる心という耳・・・』

『どこへいったのだろうと男性の身を案じる心という耳を澄ませば、ちゃんと聞こえる「助けて」』<2017年7月18日(火)>
 会話のほとんどできない19歳の男性が送迎ワゴン車の中に約六時間取り残され、熱中症で亡くなった。この事件に『筆洗』(170716)は考える。「【声】の異体字の【聲】」である。音に対して人の聴く耳が必要である。「聞こえぬ声に気づく機会はあっただろう。朝に提出されるはずの連絡帳が出ていない。昼食は手付かずのまま残っている。その状況のひとつひとつは『ぼくはここにいない』と知らせる声である。叫びである。どこへいったのだろうと男性の身を案じる心という耳を澄ませば、ちゃんと聞こえる『助けて』の【聲】ではなかったか」。
 (JN) お互いの存在を理解する。人はそれぞれに得意不得意があり、伝達能力も異なる。それを互いに理解していなければならない。障碍者施設の職員が忙しいのはわかるが、なぜにいるべき人がいないことに気付かなかったのか、いや、気付きながらそのままになってしまったのであろうか。組織の管理者の不手際なのであろうか。これは他人事ではない。自分の経験から申し上げると、この条件から外れるが、老人介護施設に入っていた母の肺炎に気付かなかった施設に怒りを持ったことがある。気が付いたのは、偶々面談に行ってくれたご近所の友人であった。今は自由な自分の身体、いつどうなるかはわからない。いずれは施設のお世話になるが、大丈夫だろうか。次はあなたが置き去りにされるかも、いや私か。