『オリンピックは「ホワイトエレファント」!?』

『オリンピックは「ホワイトエレファント」!?』<2017年7月13日(木)>
 近年はオリンピックが嫌われているのか、24年夏季大会の選考は立候補の辞退が相次ぎ、残るはパリと米ロサンゼルスだけ。これを『天声人語』(170713)は、オリンピックは「ホワイトエレファント」であるという。これはタイの王様のお話、気に食わない家来に白い象を贈り、家来はその像のために落ちぶれていったという。何しろオリンピックには金がかかり、そして箱モノが残る。そこで「ここは一つ、五輪の持ち回りをやめるて、例えば古代五輪の発祥地ギリシャで毎回開いてもいい。白い象が生まれることもない。五輪の聖地づくりも、それほど暴論ではないと思うのだが」と。
 (JN) オリンピックは平和の祭典である。戦争を止めて、スポーツで競い合おうというものである。それが、近代は様々な欲望で各都市が立候補した。国としても、世界に時刻をアピールする機会であった。1か月ほどの楽しいイベントがあ終わると、白い象が残された。勿体無いことである。とにかく、平和のためにあるべきであり、停戦の機会として、オリンピックのあり方を考えるべきである。オリンピックの年は戦争をしない。兵士は選手となって、オリンピック大会を世界中で行う。映像はこの世の中、リアルにどこからでも見られる。どこかの都市に集まる必要はない。ただし、運営母体と当番の都市(国)の人々は、戦争しているところがあれば、そこへ赴き、停戦させ、オリンピック参加のための支援をすることである。