『成熟した国での五輪はどうあるべきか』

『成熟した国での五輪はどうあるべきか』
 東京オリンピック、「開催国の名に恥じぬ成績を」と意気込むスポーツ庁に、日経「春秋」(2015/10/1付)は、「25〜30個の「金」獲得などの目標に向けて策を練るという」が、「五輪も2度目なら、もっと新しい価値を見いだせぬものか」と。
 オリンピックって何のためにあるのだろうか。平和の祭典であるが、近代オリンピックが戦争を終わらした話を聞かない。組織委員会では汚職も起きるこの現在、お金儲けが中心であろうか。そうなると、招致運動の時も、お金がかかっていたのだろうか。それは、どこから捻出され、どこに回って行ったりするのか。公的な資金から、私的なお付き合いから。それは勝手な想像だが、とにかく、見てくれのことにばかり気を使い過ぎではないか。スポーツ本来への投資について力を入れるべきである。新たに加わるであろう競技も含めて、選手達が能力を伸ばしそれを発揮出る環境づくりを組織委員会には一番に考えてもらいたい。やる以上は、日本がメダルを多く取れるに越したことはないが、それは結果であり、東京オリンピックによって、世界の人々が幸せになれるそんなオリンピックにできないであろうか。それは、どんなオリンピックであろうか。まずは、世界が平和な良い日を迎えたい。(JN)