『人の命を命と思わぬテロを決意させる心。その心を奪い・・・』

『人の命を命と思わぬテロを決意させる心。その心を奪い返さぬ限り、戦いは終わらぬ』<2017年7月4日(火)>
 「過激派組織『イスラム国』(IS)のイラク最大拠点モスルの陥落が近づいている」が、これを終わりと考えてはならないと『筆洗』(170704)は言う。これを交響曲に例える。曲の終わり方には仕掛けがあり、ハイドンは「聴衆にわざと曲の終わりを勘違いさせる工夫をしていたそうである。立ち上がっての拍手もブラボーの声も送ってはならぬ『偽休止』なのであろう。モスル陥落に平和の音を聞きたい。それでも油断すれば、静かな曲の中に突然、大きな音を奏でる、ハイドン交響曲九十四番『驚愕』を聴くことになる」と。
 (JN) シンフォニーには様々な終わり方があるが、その曲は必ず終わる。コンサートもアンコールがあろうと、拍手を続けようと終わりはある。それは、ルールがあるからだ。しかし、イスラム過激派の活動にはルールがないのである。音楽の響きは聞きたいが、爆音やその地響きの音は早く終わらせたい。筆洗は心を変えるべきとしているが、それはそう簡単ではない。まずは指揮棒を振り終わらせるためのスコアが必要である。どのパートももう勝手に音をさせないための、スコアと指揮者の能力が問われる。イスラムのこの戦いの歴史はいつ終わるのだろうかは、それを全世界でスコアを作り上げ、オーケストラのバランスを理解できる有能な者を指揮者にすることである。これも難しいが、やらねば終わらない。それは、テロを起こす者の心だけでなく、皆の心を導けることである。