『着衣泳指導がなかったなら、さらに犠牲は大きくなって・・・・』

『着衣泳指導がなかったなら、さらに犠牲は大きくなっていたかもしれない』<2017年4月28日(金)>
 「野蒜小学校の体育館は、その時、洗濯機のようだった。三人の子とともに避難していたお母さんは、死を覚悟した。だが、十二歳の長女の姿を見て、われに返った。まるでラッコのように、巧みに水面に浮かんでいた」。「筆洗」(170428)は、3月11日に「野蒜小の体育館では住民ら多くの命が失われ、きのうは仙台高裁で学校の避難誘導のあり方についての判決があった。問うべき責任や学ぶべき教訓は多々あろうが、着衣泳指導がなかったなら、さらに犠牲は大きくなっていたかもしれない」と述べる。そして、「PTAの行事として親子着衣泳教室を開いては」と言う斎藤会長は提案を紹介する。
 (JN) 「着衣泳」、知らなかった。そういう泳ぎがあったのか。逆らえぬ水に対して、もがいても仕方がない。ラッコのようにプカプカ浮かぶ着衣泳が津波に襲われた体育館の人の命を救った。大人はなかなか覚える機会がないが、子どもたちには是非とも全員が体で覚えてもらって、水難への一つの対策にしてもらいたい。これは、自然災害だけでなく、交通機関での事故でも役に立つかもしれない。そういう機会には遭いたくないが、様々な助かる方法を子供の内に身に付けてもらいたい。そんな学校での訓練の時、年よりも仲間に入れてほしいな。