『25年前の4月25日。ミュージシャンの尾崎豊さん急死の・・・』

『25年前の4月25日。ミュージシャンの尾崎豊さん急死の報が流れたのは土曜日の午後だった』<2017年4月29日(土)>
 「26歳で迎えた衝撃の終幕だった。30日にあった追悼式の参列者は雨中に3万7000人を超えている」。「春秋」(170429)の筆者は25年前を想う。「学校や社会での閉塞感をストレートに代弁し、時に甘美な旋律に包んだ。音楽が青春のさまざまな苦悩に寄り添った時代だったといえようか。今、若者は一日中、お守りのようにスマホを握りしめる。好みの情報には心地よく浸り、そのほかは反発する以前に素通りだ。『これからは何が俺を縛りつけるだろう』。尾崎さんは歌で絶叫した。技術は図らずも若者と周囲の対決色を薄めたかもしれない。しかし、次代を創る気概まであせていないことは切に祈りたい。」
 (JN) 恥ずかしながら、歌の世界に疎い私、尾崎豊を知ったのは、彼の亡骸が街中に発見されたニュースによってである。従って、彼の詩を知ったのはその後のCD購入によってである。私は男であるが、彼の歌声、甘〜い、恋の歌に痺れる。もう、亡くなって四半世紀が過ぎましたが、彼は26歳の心で生き続けている。こちらはその間に、30代後半から還暦を超えてしまったが、スマホから流れる彼の声であの当時の家族を社会を想う。否、もっと若き頃の自分かもしれない。「俺は転がり続けて、こんなところにたどりついた・・・・」。あの当時の反発精神は戻らない。若者は年を取り、次の若者が出てくる。その若者は昔の若者とは次元が異なることを理解せねばならない。