『明日は来るのか』

『明日は来るのか』<2017年2月26日(日)>
 「品物を注文し、当日の夕方に受け取れるのが当たり前になりつつある現代」に、「天声人語」(170226)は疑問を投げかける。「インターネット通販のあまりの普及にヤマト運輸の現場が疲弊している。ネット依存社会はすなわち物流への依存を強める社会である。折しも通販会社アスクルの物流倉庫で火災が起きた。消火に手間取ったのは、窓の少ない巨大倉庫ゆえである。ここに限らず、工場跡地から物流拠点への転換がじわじわと進んでいる。便利さを求めるとき、それに見合うだけのコストを払っているのかも考えてみたい。どこかで誰かに無理をかけるような仕組みは、いずれ行き詰まる。」
 (JN) サービス能力の過剰は、私たちの能力を麻痺させているのではないか。必要もないそのサービスの過剰さが、私たちを受け身にして、その能力を追い求める。提供側は更に競争し、その過剰なサービスがヒートアップして行く。私たちはその便利さに押されて、必要もないのにそのサービスを買い求めるという過剰消費がどんどん進む。一方で、働く側の私たちは、その過剰サービスを執行するために、何かを犠牲にしているのである。それは、自分たちの労働力から固定的な資本まで、そのサービスのためにその流通の中に取り込まれ、私たちは心身に支障をきたし行く。またアスクルの倉庫のような運命が待っているのかもしれない。何に価値を求めるのか、形のないものによって、「固定的なものはすべて煙となって消え」てしまうのであろうか。私たちの未来はどうなっていくのか、明日は来るのか。