『われわれは便利さと一緒にもろさと不安も引き受けたのか』

『われわれは便利さと一緒にもろさと不安も引き受けたのか』<2018年12月08日(土)>
 先日のソフトバンクの通信障害に、『筆洗』(181208)は語る。「<床屋の角にポツンとある/公衆電話おぼえてますか/きのう思わずかけたくて/なんども受話器とったの>・・・おぼえてない。使いたいけれど、どこにあるのか。・・・ソフトバンクの携帯電話サービスでの通信障害である。・・スマホに多くを依存する社会の弱みが浮き彫りになった。・・・われわれは便利さと一緒にもろさと不安も引き受けたのか。ポツンとは残っているだろう、公衆電話の場所を確かめなければならないと思う。かけたくなる日はまた来るだろうから」。
 (JN) 公衆電話を本当に見なくなった。電話ボックスなどまだ存在するのであろうか。スーパーマンはどこで変身することになるのであろうか。四半世紀前と街の風景がすっかり変わってしまった。電話ボックスがなくなり、人々がそれぞれに手元を見ながら器用に歩く姿に。便利になったが、すっかり、私たちの心も懐も、この小さな画面に占領されてしまった。これがストライキを起こすと、どうにまならない。便利たが、一つのところに頼り過ぎると、パニックになってしまう。それはスマホだけのことではないことを私たちは知っているはずである。生活機器から政治経済まで、偏らないように気を付けよう。