『自発的に本を読むための時間と体力が子どもたちに残る・・・』

『自発的に本を読むための時間と体力が子どもたちに残ることを祈る』<2017年2月15日(水)>
 「筆洗」(170215)は、次期学習指導要領の改定案について、「効果を期待したいが心配もある。まずは読む喜び、読み解く楽しさを教え子どもを読書好きにし、その結果、子どもの語彙が自然と充実していくというのが理想だろう。どういう教え方になるのか分からぬが、語彙を詰め込んだとて効果は上がるまい。むしろ国語、読書嫌いを増やさないか。改定案によれば小学校の英語やプログラミング教育など負担は増える。自発的に本を読むための時間と体力が子どもたちに残ることを祈る」と言う。
 (JN) 自分の学生のころ「履歴書・身上書」には、好きなとに読書と書いていたような記憶があるが、好きではなかった。それに苦手であった。ただ、数をこなそうと本は読んでいた。今も、好きな分野の読書以外は、苦痛の連続であることに変わりはない。でも、とにかく本を読むことで好きな分野が見つかったし、表現を真似すということを覚えた。語彙も少しは増えたであろう。それは良かったのだが、好きな本に取られる時間が多くなり、他の分野への配分が少なくなるという愚かな状況を作っている。何に時間を使うか、機会費用をどう捉えて行くか、安易な方向に逃げて行かないようにしなければならない。浅田次郎さんは今でも4時間の読書の時間を設けているそうだが、皆さんは自分の時間では、どんなことに時間を使っていますか。仕事を終えてから、本を読む体力はありますか。