『ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。』

ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。』

 「<ヒロシマはどこにあるのか/ヒロシマヒロシマにあるのか…>。そう問い掛ける詩がある」。「筆洗」(161029)は、今回の国連の「核兵器禁止条約」への日本の行動は、この詩のようではないかと。「核の恐怖をこれほど知り尽くした国はないのに、この国の政府は核兵器禁止に尻込みし、脱原発にも後ろ向き。世界の人々が問い掛けていることだろう。ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。」

 日本はまだ米国の占領下にあるのだなと、今回の国連決議で思った。1945年8月6日以降、日本は米国に支配されている。広島は日本の都市だが、日本政府はそれを忘れている。否、米国に拳銃を突きつけられて、何も言えないのであろう。安倍首相がどんなに勇ましく声を上げようと、日本は国家ではないと思いたくなる。この時こそ、賛成の票を出すべきであったろうに、何と情けない。今の内閣に骨のある者はいなかったのか。福島も長崎も広島も、日本の土地だ。原子力に汚染された地域を持つ日本の県であるはずだ。なんということだ。(JN)