『すべての子に安全でやがては良き思い出となる道を用意・・・』

<2016年10月30日(日)>
『すべての子に安全でやがては良き思い出となる道を用意しなければならぬ』

 「どなたにも懐かしい「通学路」があるだろう」と、「筆洗」(101030)は、子供たちの通学路の安全を想う。「たまにはその道を歩いてみることをお勧めする。大人の足はその道を狭く、短く感じさせ、同時にとうに忘れたはずの友の笑い声まで聞こえてくるはずだ。通学路には大切な思い出が刻まれている。学校へ、そして未来へとつながらねばならぬ、その子の「通学路」は突然、途切れてしまった。横浜市市道。狭い道幅の割に交通量があり、危ない道といわれていたと聞く。すべての子に安全でやがては良き思い出となる道を用意しなければならぬ。」

 子どもたちの安全は、大人が準備しなければならない。事故が起きてからでは取り返しがつかないのである。これは、過保護とは別問題で、子供たちの危険については全力を尽くすべきである。小学校の通学路は、そこに住む者全員で行うべきである。保護者が忙しくても、住民は他にも居る、そして、高校生や大学生の手を借りても良かろう。市町村の自治体が中心となり、交通事故や不審者から子供たちを守る工夫をしよう。ふと、半世紀前を想えば、通学路にはミドリのおばさん以外に、自分たちを見守る商店の人やご近所の方々がいた。時には鬱陶しいこともあったが、人と人とが近かった。好き思い出である。(JN)